加島 恵太郎(かしま けいたろう、明治4年4月13日(1871年5月31日) - 昭和25年(1950年)7月6日)は日本の実業家、政治家、漢詩人。鳥取県西伯郡境町長(第5代、7代)、境町会議員、鳥取県会議員。号は洗心。
経歴
境町に生まれた。加島房太郎の実弟。
鳥取中学から東京物理学校に学んだが、病気のため帰郷した。家業の加島呉服店を手伝い、28歳で独立して隠岐汽船、境ドッグ、境電気等の会社経営に関係した。
2度にわたって町長をつとめたが名誉職だったので、生活の基盤は家業にあり、急用が起きると走って役場に出かけた。
明治38年(1905年)9月、日露戦争戦勝祝賀会を挙行、町中が沸く中を杉山校長と共に旗行列、提灯行列の先頭に立った。明治39年(1906年)新築移転後の尋常小学校に高等科を設立、港口浚渫、澪止工事に着手した。
漢詩人として
村上松村(本名:龍)の漢詩吟社「鷗社」の創立に参加、さらに大正6年(1917年)の「第二次鷗社」にも参加、大正9年(1920年)には松江の「剪淞吟社(せんしょうぎんしゃ)」に加盟して、その重要なポストである董事(とうじ)に就任した。
熱心な実作者であり、「山陰大詩会」では、明治41年(1908年)の第1回大会から第27回大会まで、通算20余回参加した。
昭和7年(1932年)漢詩集『洗心詩集』第1編を発行。そのあと次々に出版を重ね、昭和18年(1943年)に第6編までを刊行した。内容は多岐にわたり、その中でも新鮮な詩情にあふれる郷土賛歌が心を魅了する。
関連人物
- 村上松村
- 山本熊吉
- 山本亮
脚注
参考文献
- 『境港市史 上巻』(昭和61年 533-534頁)
- 『境港市史 下巻』(昭和61年 295-296頁)
外部リンク
- とっとりデジタルコレクション--加島恵太郎




