1969年の西鉄ライオンズでは、1969年の西鉄ライオンズの動向をまとめる。
この年の西鉄ライオンズは、中西太選手兼任監督の8年目のシーズンである。
概要
投打ともに若手がチームの主力となったこの年、チームは1963年以来6年ぶりのリーグ優勝が期待されたが、開幕ダッシュに失敗し4月を同率4位で終えると5月に最下位に転落した。しかし、6月に入ると南海が15連敗でAクラスが遠のくスキをついて5位に浮上した。8月には、4位の東映に0.5ゲーム差と迫るが、最後は息切れ。このシーズン中、西鉄の選手が八百長に関与した疑惑が発覚し黒い霧事件に発展した。この年をもって中西と稲尾和久が現役を引退、西鉄黄金時代を築いた名選手がチームを去った。中西監督も黒い霧事件の責任を取ってシーズン終了前に辞任し、鬼頭政一ヘッドコーチが代行となった。
チーム成績
レギュラーシーズン
オールスターゲーム1969
できごと
- 10月7日 - 永易将之投手が暴力団に勧められて、試合で「八百長」行為をしていた事が発覚。「黒い霧事件 (日本プロ野球)」の始まり。
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
出典




