岩本 絹子(いわもと きぬこ、1946年(昭和21年)ないし1947年(昭和22年) - )は、日本の医学者(医学博士)、産婦人科医。学校法人東京女子医科大学理事長を務めた。

経歴

佐賀県唐津市出身。1973年に東京女子医科大学を卒業し、産婦人科に入局。1977年に東京女子医科大学大学院を修了し、学位論文『母児感染における新生児大腸菌感染症の発現機序に関する細菌学的研究』により医学博士を取得した。

1979年に葛西中央病院産婦人科部長となった後、1981年に葛西産婦人科を開業して院長となり、2024年3月までその任にあった。

東京女子医科大学の同窓会組織である「至誠会」の活動に関わり、1992年に社団法人至誠会理事、2004年に副会長を経て、2013年に一般社団法人至誠会会長に就任した。

この間、2001年に学校法人東京女子医科大学評議員、2008年に理事となった。2014年12月には、副理事長となって、財務担当理事、経営統括理事、法務担当理事、施設将来計画諮問委員長を兼務し、さらに2019年には理事長となって、プロポフォール事件などで揺らいでいた経営の立て直しに取り組んだ。その一方で、岩本が、至誠会会長と学校法人東京女子医科大学理事長を兼ね、強い権限を振るっていたことを、ガバナンス上の重大な問題と考える者も出てきた。

2023年4月、至誠会の臨時社員総会が、岩本の会長解任を決議した。この動きを受けて、東京女子医科大学は、7月に至誠会との関係を解消し、新たな同窓会組織を立ち上げるといった一連の決定をおこない、混乱が広がった。

2024年3月に至り、大学関係者からの刑事告発を受けた警視庁が、背任の疑いで大学本部や岩本の自宅を一斉捜索した。容疑の内容は、2018年7月から2020年2月までの21回にわたり、新宿区にあるキャンパスの施設の建設をめぐって実態のないアドバイザー業務への報酬という名目で大学の資金を流出させ、1億1700万円の損害を与えたというものであった。大学の非常勤職員の肩書きをもつ一級建築士の口座を通じて報酬の一部を岩本自身に還流したと目されている。

2024年8月の臨時理事会で、岩本は理事長を解任された。2025年1月13日、前述の資金を自身に還流した疑惑について、警視庁から背任容疑で逮捕された。同年2月3日、大学附属病院「東医療センター」の移転に伴う新病棟建設工事でもアドバイザー報酬名目で計約1億7000万円を不正に支出したとして、背任容疑で再逮捕された。同月21日、東京地検から背任罪で起訴された。

2025年1月現在、日本産婦人科学会産婦人科専門医、母体保護法指定医師、麻酔科標榜医とされている。

家族・親族

東京女子医科大学の創立者である吉岡彌生の親族であり、彌生の義弟・吉岡松造(吉岡医院長)の孫にあたる。なお母・岩本薫(旧姓:吉岡)も同大学出身の開業医であった。

吉岡家・岩本家

代々医師の家系。本籍地は佐賀県東松浦郡入野村大字高串(現:唐津市肥前町)。

  • 高祖父・吉岡玄白(生年不明)
    医師。
  • 曽祖父・吉岡玄雄(生年不明)
    医師。入野村会議員。
  • 外祖父・吉岡松蔵(1874年(明治7年)5月2日生)
    吉岡玄雄の三男。内科医。東京女子医科大学創立者の吉岡彌生は、松造の長兄・吉岡荒太の妻。妻は俊子。吉岡医院長、村医、校医。 1904年(明治37年)済生学舎(現:日本医科大学)卒業。順天堂医院(現:順天堂大学医学部附属順天堂医院)、和泉橋慈善病院(現:三井記念病院)、至誠病院(現:東京女子医科大学病院)などに研究。1905年(明治38年)実家の医業を継ぐ。趣味は書画、骨董。
  • 外祖母・吉岡俊子(生年不明)
  • 父・不明(岩本氏)(生年不明)
  • 母・岩本薫(1912年(大正元年)8月7日生)
    外祖父・吉岡松蔵の娘。内科・小児科・産婦人科医。岩本産婦人科医院長。 1934年(昭和9年)東京女子医学専門学校(現:東京女子医科大学)卒業。その後、母校・東京女子医専の産婦人科教室助手、講師を務める。1939年(昭和14年)生理学教室助教授。1946年(昭和21年)2月、父・松造の許可を得て、東松浦郡入野村に父の医業を補佐する形で開業。1948年(昭和23年)2月、唐津市魚屋町に現地開業。1945年(昭和20年)5月慶應義塾大学から学位を受領。主な論文は「二種ノ運動神経ニ関スル研究」。趣味は茶道、長唄。

親戚

  • 義大伯母・吉岡彌生(1871年(明治4年)4月29日生)
    漢方医である鷲山養齋の次女。東京女子医科大学創立者。15歳の時に吉岡荒太と結婚。済生学舎(現:日本医科大学)で医学を学ぶ。1900年(明治33年)最初の女医養成機関として東京女医学校(現:東京女子医科大学)を創設、1912年(大正元年)には専門学校に昇格、多くの女子医学者を育成した。長男は東京女子医科大学理事長(3代目)の吉岡博人。孫は同大学理事長(4代目)の吉岡博光。
  • 大伯父・吉岡荒太(1868年(明治元年)12月8日生)
    曽祖父・吉岡玄雄の長男。田野小学校、福岡県立福岡中学校(現:福岡県立福岡高等学校)を経て東京・独乙語学校、第一高等学校に学ぶ。東京至誠学院を興してドイツ語を教授、医学の発展に尽くす。1900年(明治33年)には東京女医学校(現:東京女子医科大学)を創設した。著書に「独乙語講義書」、「日独対訳修講義書」がある。
  • 大叔父・吉岡正明(1884年(明治17年)10月13日生)
    曽祖父・吉岡玄雄の四男。1914年(大正3年)大阪府立高等医学校(現:大阪大学大学院医学系研究科・医学部)卒。1920年(大正9年)12月東京女子医学専門学校教授となり、1921年(大正10年)2月欧米留学、同年12月帰朝。1922年(大正11年)4月東京女子医学専門学校理事(のち専務理事)、1933年(昭和8年)4月独逸協会中学牛込医師会各理事を歴任。1949年(昭和24年)東京女子医科大学病院長に就任。妻・房子は山崎巌の妹。次男は東京女子医科大学学長の吉岡守正。孫は同大学理事長(5代目)の吉岡俊正。長女・恵美子は衆議院議員を務めた上塚司の長男・昭に嫁いだ。

家系図(吉岡家・岩本家)

脚注

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第20版 上』人事興信所、1959年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年。

関連項目

  • 2024年に発覚した東京女子医科大学寄付金問題

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